2011年3月29日火曜日

西洋的アプローチと日本的アプローチ

プログラムを勉強するにあたり、取り組むスタンスというのは各自様々かと思います。

一般的な日本人は、おそらく

・学校で習う
・テキストなどで独学

というパターンが多いのかな?と思います。それらに共通することは、

1から順番にステップアップ

ということではないでしょうか?

何事にも基礎があっての応用ですから、至極当然といえば当然です。問題なのは、

日本人は過程の美学がある


ということです。問題といってもマイナスの意味ばかりではないのですが、少なくとも自分自身にとっては、これがマイナスに働くことが多いと感じることが多々あります。

今はどうか分かりませんが、私が学生時代の話。

中学校までの数学のテストというのは

2 + 4 = ??

と出た場合、??の答えだけを求めればよかったのです。この場合、ある人は、

2に1を4回足して6にする

かもしれませんし、別の人は、

2+(2x2)=6

というように6を導くかもしれません。どういう風に求めても”6”を導けば正解なわけです。しかし、高校入学の最初の数学テストのときに、例として適切か分かりませんが、

2と5の最小公倍数は??

という問題が出たとして、私は直感で

10

と記入しました。見れば分かるので、過程もへったくれも無いと思ったわけです。しかし、返ってきた解答用紙をみると、

0点

でした。なんで、10になったかの経過が書いてないかららしいです。しかもその経過が合っていないとだめだとか。

実際はこんな問題ではなく、もっと公式をいくつか使うような問題でしたが、ニュアンスとしてはこんな感じです。公式を使わなくても、なんとなく数字をいじっていると答えが出ることってあると思います。実際にありました。そのアプローチというのは様々であって、お決まりの公式でしか回答できない人が評価されて、誰も思いつかないアルゴリズムを開発しても評価されない、日本の教育課程に幼いながらもあきれ果てた思い出が高校時代にはたくさんありました。

かなり私情に走ってしまいましたが、要は

答えを導く方法は1つではない


ということです。これは、今でも自分の柱の一つかもしれませんが、遠回りしようが、最短距離だろうが、答えを自分で出すということに価値があります。日本の教育は、

”聞くことは恥ずかしくないからバシバシ聞きなさい”

と教えてきました。そのため、ろくに自分で物事を考えたり判断することができずに、安易に人に頼ってしまう人をたくさん作ってきてしまったのでしょう。

あっ、また私情が・・・・。

ということで、私の場合、1から順を追って学んだり取り組むことにかなりの抵抗感があるため、アプリ開発をスタートすると決めても、いきなり

”GPSの使い方は・・?”

とかが知りたくて、そこから少しずつ戻りながら、必要な情報だけを手に入れていくという流れになってしまいます。

そんなわけで、正攻法によるアプリ開発をスタートすることになりました。まずは、開発環境を整えるということで、”Eclipse"なるソフトをインストールしました。いちいち理論を勉強する時間もないので、”Eclipse"をインストールするもんなんだ、と言い聞かせて、さっさと設定したため、詳細については理解できていません。Androidアプリを開発するために必要な操作の最低限しか理解していませんが、まあ良いでしょう。

なんだか、精神論ばかりのようになってしまい、

”アプリ 開発”

なんかのキーワードでお越しいただいた方には大変申し訳なく思っておりますが、ご勘弁ください。所詮素人なもので、お教えできるほどの技量はございません。

いい加減、アプリについて少しは話を進めないといけないかな?と思いますので、次からはアプリの内容についての試行錯誤を進めたいと思います。

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